図表 和楽な暮らしと現代の暮らしの違い
□□モノの価値の推移□□
大量生産品の場合、ブームや流行によって左右されやすい。自分が好んで購入する場合よりも他人の価値によって購入することの方が多い。つまり生活道具になる前に、消費財としてモノの一生は終わる。 一方昔ながらの生活道具である和の道具の場合、もともと古いので、価値自体ははじめは低いが、流行に左右されることなく、長く使用する(愛用する)ことができる。長期的にみてモノの一生における価値は大量生産品よりも高くなる。
□□大量生産品のトリック□□
大量生産品の隠れたトリックとして「小出し」がある。リニューアルを小出しにすることにより、流行に左右される(誘導される)生活者でなく、消費者は次から次へと購入してしまう。
僕の場合、和楽の仲間が3000円のしゃもじを使っていて、それに対してもったいない、ブルジョアだと馬鹿にしていたが、今になっては大変恥じている。これまで100円均一で次から次へと消費していた愚かな自分も3500円で一枚板のまな板を買った。これは僕の次の代まで使ってもらえるはずだ。そう思えば非常に安い。
□□ランニングコスト□□
大量生産品は確かに安い。確かに安いがモノの質は低い。安いしもろいので、すぐに買い換える。現在消費行動はそこに問題があるし、とてもモノを大切にする日本人の姿はそこには見えない。ランニングコストとしては実際は高くつくんじゃないだろうか。そのくせ、世間ではモノづくり大国日本といっている。とてもじゃないけど、恥ずかしい。モノを作りつづける日本人。ホントは違うはずだ。
昔ながらの和の道具は「長く使うことのできるモノ」をつくってきた。それが本来の日本のモノづくり大国しての姿ではないだろうか。「量より質」。うまいことをいったものだ。
□□便利なモノと数の関係□□
大量生産品が大好きなジャパニーズは、その価値をとかく「便利だから」という言葉で片づける。たしかに大量生産品は便利だ。それはどうしてだろうか。「モノをたくさん持つ暮らし方」を前提につくられているからではないだろうか。つまりそのモノ、そのモノに一つの機能を持たせる。
一方、昔ながらの和の道具は確かに不便な綿がある。それは「モノの少ない暮らし」これが前提となっているため、そのモノに多様性を持たせている。だから一局的な利便性からみると不便ではある。その分、知恵や工夫、時にガマンといったことにつながってくる。
福祉の面でいえば、バリアフリーの物質でなく、自分の行動・行為によって障害者や高齢者を手助けするということだ。
□□所有からシェアへ□□
大量生産品に囲まれた20世紀型の暮らしは物質の個人的所有率と個人的安心感が高い。モノを個人的に所有するすることは個人的安心感につながり、それが「いい暮らし」ということになっている・
昔ながらの暮らしは確かに物質の所有的満足感は少ないであろう。つまり物質のシェア率が高い。僕の小さい20年ほど前は、まだ「お古」という言葉が一般的であったのを覚えている。
モノを共同で所有することにより「モノを大切にする姿勢」や人と人のつながりを養うことにつながるのではないであろうか。古い町並みも町並みをみんなの共同所有物としてとらえることで、個人的欲求により大きなビルを建てたり、駐車場にしてしまうという行動が働かないのではないだろうか。つまり、時間的にいえば、隣近所という面と、昔・未来という面で共有できるということだ。
□□精神的満足とは□□
精神的満足は難しい問題だ。極論をいえば2つあると思う。「お金とじかん」だ。どちらがかけても精神的な満足はなかなか満たされない。
しかし、政策や雰囲気によって満足しているような気にさせることはできる。現在のニッポンの場合、お金があって、モノがたくさん買えれば「いい暮らしですよ」、「精神的満足が満たされますよ」といわれているんじゃないだろうか。
モノがたくさんあることによって、お金がたくさんあることによって、時間的満足については仕方ないかなーという雰囲気を世間に持たせている面がある。
今大切なことはそのバランスをちゃんと把握することだ。どのくらいのお金と時間がればホントはいいのかなって。
□□給料は減るけど□□
ちょっと昔の暮らしをベースにした和楽な社会において、確実にいえることは、現金収入が減り、GDPが下がることだ。その心構えは必要だ。しかし、これはいずれも経済的な側面の指標だ。じゃあ、その分何をえるのか。
ひとつは「時間」だと思う。時間を得る分、現金で解決するんじゃなく、自分の行為で事柄を解決する。少しくらい自分で食べ物をつくったり、家を修理したり…。また現金収入のためだけの仕事ではなく、地域のためのボランティアに参加する人もいるだろう。これは巡り巡って、自分も手助けしてもらえるということ、相互扶助だと思う。
もうひとつは「環境」だとおもう。環境に負荷をかけることで作り上げられたGDPや僕らの給料、つまり僕らの暮らしを少しずつ押さえることは、その分、環境にとってよいことになる。もともと日本人は自然と暮らす方法を生み出すのが得意だったことは、世界に誇ることのできることだ。今こそ、ちょっと昔の暮らしぶりをヒントに21世紀の暮らしを作り上げたいものだ。これまでの世代とこれからの世代のために。
□□あこがれのアメリカ□□
戦後、僕たちはアメリカにあこがれてきました。Gパン、Tシャツ、ファーストフード、ニューヨーク、メジャーリーグ、そして自由、民主主義…。テレビなんか見ているとキャスターや評論家の「アメリカでは…」というコメントを聞かな日はない。
日本のアメリカ信仰は物質だけでなく、ものの考え方まで浸透している。
確かにアメリカには日本にない「豊かさ」がある。でもちょっと待ってほしい。そんなアメリカは、世界におけるGDPの30%、石油消費の40%、武器輸出のなんち65%を占める。そういう土台に支えられて、「豊かな」アメリカが成り立っていることを知ってほしい。
つまりそこまで日本がのし上がってまで、アメリカ的な豊かさを得たいのか、その辺を考え、やっぱり改めるべきだと思う。
ちなみにアメリカは世界の国防費における36%をかけて武装し、彼らの豊かさや自由、民主主義を守っていることも忘れてはいけない。