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戦時中:その2 |
昭和15年ー20年(1940-1945) |
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戦時中とは。
◆世相語…ぜいたくは敵だ、バスに乗り遅れるな、祝ひ終ったさあ働かう、大政翼賛、臣道実践、八紘一宇、一億一心、零戦、
ABCD包囲陣、進め!一億火の玉だ、米英撃滅、ゾルゲ、ニイタカヤマノボレ、欲しがりません勝つまでは、足りん足りんは工夫が足りん(足りん足りんは夫が足りん)、月月火水木金金、非国民、敵性語、職域奉公、国民皆兵、海ゆかば、大本営発表、転進、撃ちてし止まむ、鬼畜米英、一億火の玉、一億国民総武装、大和一致、神州不滅、一億玉砕、ピカドン、玉音放送 |
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家族が一人増えたけど… |
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■招集日2日前の結婚式■ |
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おじいちゃんがお見合いをしたその年(昭和15年)の暮れ、おじいちゃんに一つの手紙が来ます。召集令状「赤紙」です。そこにはその年の12月○日○時○分に豊橋の中部第2部隊へ来い、という内容が書かれていましまた。こまったなーと思ったけど、どうしようもない。戦地へ行くことは覚悟した。戦死する覚悟だったといいます。
戦時中は個人の考えはない時代、死ぬよりほかない。内心はいやだと思ったけども、誰にも言えない。名誉な召集。妙喜和尚もおっかさんも言葉はなかったそうです。
すでに婚約をしているおじいちゃんは、おばあちゃんとの結婚を招集前に済ませないとということで、召集日の2日前に結婚式を挙げることにしたのです。婚約を破棄しようなどと考える余裕はなかったといいます。決まったことだからしかたない。約束をあげた以上、結婚式は挙げななくちゃいかん、決まったことはすまいて行かないかん。おばあちゃんもどうようにしかたないと思ったそうです。 |
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当時の子供たちも日の丸を振って |
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■遺書も残さずに■ |
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招集日2日前の結婚式の日。おじいちゃんは新調したモーニングに身を包んでおばあちゃんを待ちます。おばあちゃんは在所から喪服を着てハイヤーでお寺の正門に降ります。そこから歩いてお寺の式台から入ります。お寺で呉服屋で新調した白無垢高島田に着替えます。親戚が30人くらいお寺の本堂に集まり妙喜和尚のもと仏式で結構式が営まれました。
ものの不足している時代です。村の方々からいただいた米や食べ物がちょっとのったお膳だけが並ぶ質素な結婚式でした。
その2日後に招集日です。村の神社にお参りをした後、国防婦人会や村の人たちとともに町の挙母神社まで歩いて行きます。道中、そこら中で日の丸と万歳の風景です。神社では他に20名ほどの若者にいて、整列し、また日の丸と万歳で送られました。手製の日の丸の手旗はどの家庭にもあったそうで、毎日、戦地へおもむく若者を送っていたそうです。おじいちゃんは、2日前に結婚したおばあちゃんに、余裕もないので、文面では何も残さなかった。無言で仕方がない。表情は表さずに豊橋の中部第2部隊へ向かいました。 |
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■「これは万歳だ!」■ |
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招集日、兵隊になるための身体検査を受けます。一列に並ばされたおじいちゃんたちに向かい准尉さんが「病気のあるものは列から出ろ」といいました。胸に病気の会ったおじいちゃんは一歩横にでます。今振り返るとこれが運命の分かれ目だったといいます。
その後で、医務室につれて行かれ、軍医さんに調べてもらいます。軍医さんは「肋膜が悪い。病気だから帰れ!」、そばにいた准尉さん「即日帰郷」のハンコをおじいちゃんの書類に押しました。
おじいちゃんはホントにうれしいかったそうです。うれしくてたまらなかったそうです。しかし、昼間に村に帰ることは、気が進まず、豊橋の知り合いのお寺に寄って時間をつぶしてから、その日の晩に家にかえりました。みんな内々によかったなっと口に出したそうです。そこに居合わせた安寿さん「これは万歳だ」っと言ったことが、おばあちゃんは今でも忘れなれないそうで、はっきりと覚えていると言います。みんな本当にうれしい。内心はみんなうれしかったのです。おじいちゃん、31才の暮れでした。
その後、おじいちゃんは職務に戻ります。 |
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昭和年、新体制下の正月があけます。大政翼賛会の国民生活指導部はそのあり方を発表します。
家庭の主婦は着飾って外出などせず台所を守る。ボーナスその他の収入は貯蓄に当てる。年賀状は戦地の兵隊へのみ。注連縄などは古来の伝統なので廃止しない。はねつき、こま回し、たこ揚げ大会などは奨励する…。
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日中戦争(昭和10年ごろ〜)の長期化は、物資の不足と物価の高騰をもたらします。
昭和16年4月1日、米の配給が6大都市ではじまり、12月には全国に広がりました。大人一人は一日あたり2合3勺とされ、通
常の2割削減されました。
前の年6大都市では砂糖とマッチが切符制となり、昭和17年からはみそ、しょうゆ、衣服が切符制になりました。 |
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昭和15年11月24日「最後の元老」西園寺公望が亡くなりました。生まれは嘉永2年(1849)で、ちなみに坂本龍馬が13才の年です。公家出身ながら明治維新に積極的に参加し、明治、大正、昭和と近代日本の中核を生きた人でした。
元老とは内閣制度発足当時はかわるがわる出て、薩長間のバランスを崩さぬ よう、組閣と施政にあたりました。天皇の私的な顧問でもあります。西園寺以外はいずれも薩長藩閥の出身者で他に伊藤博文など8名いました。西園寺の死によって幕末は終わったのです。そしてその翌年太平洋戦争が始まったのです。 |
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