京都の北の集落で始まった、ダッシュ村よりも厳しくでも楽しい奮闘記


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奮闘記、移転のおしらせ 2005/2/22up

社中コラム雲ヶ畑奮闘記が、2/19より暫定的にblog(ブログ)に移転します。日々の雑記などの話題や、こまごまとした更新はブログで行います。今後ともよろしくお願いいたします。

blog@雲ヶ畑奮闘記 http://jansemble.jugem.jp/



2代目、子猫現る。 2004/10/20 up

台風22号が近畿地方を訪れたその日、我が家では子猫の到来がありました。 ケンジの職場の同僚の方から迷い猫を保護したと聞き、その仔(オス)をうちでもらうことになったのです。まだ生まれて1ヶ月たってないでしょうか?名前は紆余曲折の結果、【シゲル】に決定!某・水木さんからお名前を拝借いたしました。実は我が家では2代目です。以前のは「わさび」という名のおとなしい猫した。さて、この子猫はどんな風に育ていくでしょうか。みたところ【シゲル】は非常に活発でとてもやんちゃな性格のようです。たまことも仲良くなるか心配ですが、子供のときからなら警戒心の強いねこでもなつくのではないかと思っています。

綿花の収穫。 2004/10/15 up

春にまいた綿花が収穫の時期を迎えました。量的には知れてますが、昨年丹波に行ったときに綿花の種を一握りほど頂いたのでためしに蒔いておいたのです。とてもかわいいわたの玉がなりました。種の量も2・3倍くらいにはなったでしょうか。毎年増やしていくとして、一枚の布地に織れるまでどれだけ年月がかかるでしょうか?そう考えるとTシャツ一枚とて、無駄にはできない気持ちになってきます。いくら便利で合理化されたシステムだとはいっても、布を作り上げていくまでの行程は現在もなんら変わっていないのですから…。

ドラム缶で炭焼き。 2004/10/15 up

雲ヶ畑もだんだんと寒くなってきました。これで3度目の冬に突入です。今年は懸案だった炭焼きを開始。手作りのドラム缶窯でもらってきた薪を炭にします。まずは適当なところに深さ30cm程度の穴を掘り準備をします。窯の外枠は20リットルサイズのオイル缶。はさみで煙突用の穴を開け、そこにトタンを丸めた煙突を差します。缶は全体が土に埋まるようにします。ふたのところにもはさみで切って開閉できる空気のふたを作っておきます。適当な大きさに割った薪をオイル缶に詰め、火をつけてふたをします。最初完全に火が付くまで団扇で扇ぎます。しばらくがんばって空気を送っていると、煙突からどんどん煙が出てきて中がだいぶ燃え上がってきます。次第に窯の音が鳴り出して、空気穴を調節しながら焚いていく。計ってみると温度は750度くらいにまで上がっていました。最高潮時には煙突から炎が上がってきました、焼き物で言う還元状態です。こんな簡単なものでも窯になるのは新鮮でした。これで趣味の焼きシメ作品くらいは焼けそうに思えます。ここで土をかけて完全にふたをするのですが、このタイミング次第で半焼けになったり、酸化してしまったり違いがありました。まだはっきりとしたことは不明ですが、この加減が判ればうまくできるような気がします。できた炭は杉を使ったこともあり、ガラのように軽いものができました。ものすごくつきがよく持ちは悪いですが、バーベキュー用のような嫌なにおいもなく室内で使えるレベルにできていました。雑木がもらえればもっといい炭になると思います。これからは晴れた日には炭焼き仕事が続きそうです。

老木倒壊! 2004/10/1 up

台風22号が去った次の日の良く晴れた午後、事件は起こった。裏のほうから突如ものすごい音とともに、蔵の横にあった楠の老木が根元から折れたのである。いくつかに分かれた老木は壁をなぎ倒し、道を横断し、下の家の屋根に落ちんばかりに留まっていた。直径1m、高さは蔵の2階を越えていたので、その重さは相当なものだ。もし下まで落ちていたら家の屋根を破壊していたに違いない。まったく寸手のところである。周囲の人たちに相談し、手伝ってもらって一緒に片付ける作業をした。とてもありがたいことである。こういうところからも、田舎暮らしは一人では絶対に不可能と思った。おっちゃんの話によれば楠木はこういう朽ち方をするようだ。集落にある老木は上がれるうちに大きな枝を払い、倒れるものはその方向を危なくないように注意しているとのこと。今回のも自分で倒壊時期に気が付けば、手前に倒すこともできたかもしれない。とにかく知識と経験である。肝を冷やしたが、初めて経験したこの事件で少しは木について学び、また田舎暮らしにとって人力は最も頼れるものと再確認できた。ありがたいことである。

もみすりに挑戦。 2004/9/20 up

ほんじつは収穫したお米のもみすりに挑戦。もみすりとは、お米から籾殻を取り外す作業で、この後に精米します。専用の道具がないためネットでやり方を調べたところすり鉢とスリコギでするやり方を発見、早速取り掛かることにした。すり鉢にお米を入れ、ゴマをするようにスリコギをまわしてはずすのですが、実際にやってみたところこれが実に大変!はずれたモミを団扇で扇いで飛ばすのですが、はずしたモミとお米がまざってうまく飛ばない、お米はすりつぶれるで奮闘すること2時間、やっと3合分程度のお米が取れました。原因はお米の乾燥が足りなかったことと、スリコギの太さがないため余計に摺りすぎてしまったこと。このあたりを注意すればもっと早くできると思います。昔は杵のようなものでついてモミをはずしていました。これは結構大掛かりな装置で、やはりもみすり作業は昔から大変なことだったんだと思いました。そんなこんなで一生懸命できたお米を使って、桜餅を作って社中のみんなで頂きました。桜の葉は庭にあったものを春にむーちゃんが漬けておいたものです。小豆と砂糖は買ってきたものを家で炊きました。とはいえかなりの時間と労力、そして自給率です。とてもおいしかった。非常に贅沢な時間を過ごせました。

米だ、芋だ収穫だ! 2004/9/7 up

もち米の収穫です。といってもうちで田んぼを借りた訳ではありません(借りたい!)。今年の広島田植えツアーでもらってきた苗を、ものは試しで家の池に植えてみたのです。そしたら案外良く育ってくれて、今日その収穫の日を迎えたのです。植えた場所はどういう状況かというと、我が家の池は貯水が完全ではなく自然に排水する状態の池。そこに土は畑の土を入れて井戸からの水を張っただけのもの。給水はまめにやりましたが、肥料や除草などはほとんどやらず放任状態。こんなんで育つんかな〜と思っていましたが、稲って意外に強い!少し日当たりの悪さもなんのその、元気に育ってくれました。実のなりは贅沢いえませんが、こんなちょっとした場所でもできたのが感動です。水と太陽さえあれば稲はどこでも生きていくんですね、感心しました。後、段ボール箱にビニールを張ったダンボール栽培もやってみたのですが、これもうまくいきました。バケツ栽培というのがありますが、こちらはダンボールなのでコストがタダ。陸稲にならないかと思って畑に植えた分は乾燥に耐えられずだめでした。また、畑の雑草などには負けるようで、やっぱり自分の好きな環境に近いほうがいいみたいです。刈り取りは、袋を手に持って穂から直接フォークではずしました。何にでも使えるもんです。ともあれ小さな収穫作業は無事終了、来年はもう少し量を収穫するぞ!・・・しかし一番驚いたのは大家さんかもしれませんね。自慢の池に突然稲が生えてんですから。ご愁傷様です、じゃなかったご馳走様でした。

我、和楽生活を振り返って。 2004/7/18 up

和楽生活を始めてからの我が家の取り組み衣食住をざっと見てきたわけですが、暮らしを見直す整理を始めて、これまでいかに自分たちの生活が無駄なものを抱えて暮らしていた(抱えさせられてきた)かがよくわかります。

それらの多くは大量生産、大量消費の経済をまわしていくため、便利な生活という名の下に数々の無駄、数々の経済的負担、また環境に対する負担をを背負わされてきたということがいえます。もちろん個人的な趣向で物が増えるということもありますが、多くはメディアによる宣伝競争に乗せられ買わされてきた結果です。現在の商品の多くは新品を次々に消費させる為のたくさんの仕掛けがされているため、一度購入し始めると次々に買い換えるというスタイルができてしまっているのです。

実際には安い新製品を買うより、少々高価でも昔からの生活道具に頼った暮らしのほうがより経済的です。これらの生産に必要なエネルギーや環境負荷は工業製品よりはるかに少ないのは言うまでもありません。また、和の道具には使うほどに味が出たり、世代を超えて使い続けられる工夫がなされているという、工業製品とは逆のベクトルを持っています。現在の不景気の背景には、そういう大量生産、大量消費に対する消費者(和楽では生活者と呼びます)の反発感情があると思います。

政府は依然として(大量生産、大量消費型の)景気回復を標榜していますが、時代に逆行しているというほかありません。多くの資産を維持し、経済的に成長を続け、他の国々から経済的優位により得られる利益を享受し続けたいというのが政府の方々の望みかもしれませんが、それは先進国としての野望に過ぎません。日本という国は、本当は多様な自然に満ち溢れた、特別手を加えなくても充分に住みやすい世界でも珍しい恵まれた国なのです。この島国を本当に活かしていくなら、先人たちが長年培い残してきた古来からの暮らしや知恵を、もっともっと活用していくことが大切なのです。たった50年ほどでつくられた経済社会に今後どれほどの期待ができるのでしょうか。この国をこれ以上、開発によって無理な形に変えてしまうことはもう止めにして頂きたい。失ったものはもう二度と戻ってはこないのですから。

 もちろん、現代社会に疑問を持つ多くの方々、また和楽に賛同していただける方々が、一人でも多く自らのライフスタイルを変化させ、和の暮らしを実践していただけることを望んでやみません。

我が家の取り組み・住編。 2004/7/18 up

我が家の取り組み、第3回目は衣食住の「住」編です。自宅での仕事が可能な為、ライフスタイルはずいぶん家庭よりに変化しました。今夏から明け六つ、暮れ六つ生活をはじめました。明け六つとは江戸時代に使われていた時間概念で、一日を12等分し、日の出が明け六つ、日の入りを暮れ六つとした不定時法です。当然夏と冬では日照時間が違いますから、夏は生活時間が長く、冬は短くなる訳です。現代的に言うとサマータイムのようなものです。この方法は非常に合理的で、お日様のエネルギーを最大限に利用するシステムです。日本家屋は開放的なので、日中の照明はほとんど必要ありません。結果はまだわかりませんが、今月の電気代がどれだけ節約できているかが楽しみです。

 電気代でいえば、昨年一人で居たときよりも3人で暮らしている今年のほうが電気を消費していないことに気付きます。昨年の同じ時期の電気代は月4000円くらいでしたが、今年は2000円切る時もあります。電化製品が減ったこともあると思いますが、おそらくテレビの利用が減ったことが大きいのではないかと思っています。一人の時はなにかとテレビを流していたので、人と話せることでテレビの利用機会が減ったのだと思います。

  この時期、クーラー無しで生活できる涼しい環境だということも見逃せません。周りに土や木々があるだけで街中とは温度がずいぶん違い、日中は暑くても日が落ちると途端に涼しくなってきます。開けっ放しておくと風が通るので、扇風機も滅多と活躍していません。お風呂も水風呂に入ることで涼しく、ガス代の節約になっています。最近、水も雨水を貯めて風呂にも使っています。もとは畑用に貯め始めたのですが雨の多い時期なので、夕立などで小一時間も降れば充分風呂に入れます。

  冬の暖房は炭中心に変わりました。暖房器具は居間にある囲炉裏と櫓ゴタツ、工房に火鉢と猫ゴタツ、後、極寒の日の補助やお客さん用に石油ストーブ1台です。暖房とともに火鉢にはやかん、囲炉裏には鍋を掛けられ調理にも利用しています。夏のクレープとともに冬はラクダが大いに役立っています。ラクダ一枚の威力はすばらしく、着物の下に着るのですがうっかり爆笑すると汗をかくくらい暖かく、もう冬は手放せません。これを着るだけで余計な全室暖房の必要がなく、地球温暖化が防げます。隙間の多い日本家屋にはラクダです。

 全体的には家財道具の数が減りました。基本は床座で、椅子はロクロとミシンで使っているだけです。据え置きの家財道具といえば箪笥がありますが、今夏の衣服は柳行李一個にまで減りました。書籍(主に古本)が増えていくので書棚は必要ですが、無駄な雑誌を購入することはなくなりました。資料関係も図書館の利用で購入は厳選しています。現在古新聞のリサイクルを検討中です。物が少なく転用性の高いものが多くなったので、部屋はすっきりして掃除もしやすいです。古い家屋は埃が溜まり易いので、物が少ないのは大きなポイントです。

■  切り替わったもの…洋間→和室、カーペット→畳、クーラー→団扇・扇風機(補助)、ファンヒーター→火鉢・ストーブ(補助)、電気ゴタツ→炭炬燵、クレープ・ラクダの着用、カラーボックス→和箪笥・行李、ベッド→蒲団、網戸→蚊帳、テーブル→ちゃぶ台、蛍光灯→電球、掃除機→箒、かばん類→風呂敷・信玄袋、携帯電話→破棄(山のため電波が入らない)
● 節約なったもの…電気(テレビ、クーラー、ファンヒーター、電気ゴタツ、掃除機、および明け六つによる効果)、水(風呂、畑・田圃)、ガス(風呂)、雑誌・レンタルビデオ、通信費(携帯)

我が家の取り組み・食編。 2004/7/18 up

和楽な暮らしを始めてから続けている我が家の取り組み、第2回目は衣食住の「食」編です。食に関しては、ライフスタイルの変化に伴い一人暮らしの時と大きく変わりました。

変化したこと…1)自炊が主になり、惣菜、弁当などの買い食いが減った。2)食事を規則正しく採れるようになり偏食が減った。3)和食が主になり、肉類が減った。4)買い物に行く回数が減った。5)外食で済ます機会がなくなった。6)家庭菜園を始めた。7)発酵食品や調味料なども作るようになった。8)家庭内でのリサイクルでごみが減った。
要因はいくつかあるが、第1は地理条件。家が街から遠く不便になったことで買い物の回数と、偏食の機械が減った。店が近くにない為、外食で済ませることができなくなった。当然夜飲みに出ることもなくなった。コンビにも利用できなくなったが、慣れてしまうとあまり不便を感じていない。

第2は時間的ゆとり。時間があることで自炊が普通になった。家庭菜園や調味料、発酵食品作りにチャレンジするのにも、時間的ゆとりは必要。

第3に土地があること。これにより家庭菜園が可能になった。安全で新鮮なものがいつでも手に入るし、野菜の生態や旬など今まで知らなかった知識を得た。生ごみも堆肥として利用できてごみ減量になった。また、汲み取り式の利点を生かし、今年から下肥利用も始めた。畑があるということで太陽や雨のエネルギーやごみ・排泄物など無駄なく利用できているわけですから、エネルギー問題にも効果があるということですね。消費の仕方と生ゴミ利用で、生活の中で出るごみの量はいままでの1/2程度にまで減っています。
第4は、和食中心の食事に変えたため、お米が主食になりおかずの量が少なくてすむようになった。昨年暮れあたりから玄米食に変えたが、毎日お米がおいしく体調もすこぶるいいし、おなかまわりもすっきりしてきた気がする。畑にもいいし、ダイエット効果あり。和食になったことでお茶をよく飲むようにもなりました。

いままで街にいて「こんな風になったらいいなー」と思っていたことがどんどん現実化していった感じです。ここまで一気に変わったわけではありませんが、少しづつ気づきながら変化してった感じです。一度やり始めると次々課題が出てきて興味は尽きません。今手にしているものを街で求めようとすると、金銭的な問題や時間的な問題が困難でなかなか前に進めませんでしたが、やはり環境の違いは大きいです。ちなみに現在の食費は、農具などの備品やティッシュなどの消耗品、犬の餌代、お菓子代など込みで予算一人1万円で余裕があります。和楽な暮らしにすれば1万円でテレビの番組よりもリッチな生活です。

■ 切り替わったもの…洋食→和食、白米→玄米、ジュース類→お茶、惣菜・弁当・外食→自炊、スーパー・コンビ二→畑、炊飯器→圧力釜・おひつ、電子レンジ→破棄(冷凍食品がないため)、トースター→火鉢、電気ポット→やかん、もちろん食器洗い機などはありません。
● 節約なったもの…電気(炊飯器、電子レンジ、トースター)、食費(弁当・惣菜・外食、肉・野菜・調味料、お菓子・ジュース、ビール・酒)

我が家の取り組み・衣料編。 2004/6/ up

ます着ているものですが、基本的に着物を着て生活しているので、洗濯物が格段に少なくて済みます。このため今年から洗濯物はお風呂のときに一緒に洗うことになりました。洗うといっても下着類くらいなのでそんなに手間ではありません。石鹸は雲ヶ畑婦人部から頂く廃油で作った石鹸を使っています。お湯+石鹸なので非常によく落ちます。たまに作業着などを洗うときは少し大変ですが、手だけでなく足で洗濯物を押えて洗い、脱水する技を身につけました。汚れのつきやすい箇所(襟首や袖口)は手でもみ洗いします。今のところ洗濯板を使わなくても不便していません。ついでに床もきれいになり一石二鳥!動力を人力に替えることで水道代と電気代も節約できます。一家の中で主婦一人がやるのは当然大変なので、みんなにそれぞれの洗濯物を洗ってもらいます。所要時間は5〜10分程度ですみます。人力を使ってると体調もよくなった感じです。

 着物の繕いなども各自手縫いでやります。それから電動ミシンもあったのですが、これも足踏みミシンに切り替わりました。改装中の町屋からもらってきたものをメンテナンスしたものです。現役で使えます。これで暖簾や窓用の蚊帳などを作りました。現在縁側に置いていますが、昼間の光を利用するため戸袋をはずして光を取り込んで作業しています。これだけで十分明るく、縁側での作業は気持ちもいいです。電気と違ってカタカタという音もいいです。

 ざっとこれだけでも随分エネルギーの節約になります。特に着物に切り替えたのは大きく、洋服(新品)を一切買わなくなりました。着物はもちろん古着です。現在日本全国で、年間約108万トンの服が捨てられると推計されていて、一人あたりにすると年間約9kgの服を捨てているということです。新たに服を購入しなければ必然的に捨てるものもなくなります。この節約は着物暮らしならではです。

■ 切り替わったもの…洋服→着物、洗濯機→手洗い、洗剤→石鹸、電動ミシン→足踏みミシン
● 節約なったもの…電気(明かり40w、洗濯用200w、ミシン100w)、水道(洗濯100リットル)、洗濯洗剤、洋服の購入。※いづれもメーカの定格消費量参考。

我が家の取り組み。 2004/6/ up

90年代あたりから、「環境」という言葉を見たり聞かない日はないくらい地球環境に配慮したとりくみや商品開発が盛んに行われ、人々の環境に対する意識の高まりを感じます。環境について考えたり、イベントに参加したり、環境に配慮した商品を買うことで少しずつエコが暮らしに浸透してきているといえるかもしれませんが、実際にはCO2排出量だけでみても京都議定書の目標達成どころか排出基準を上回り、議定書発行前の上昇カーブで排出量は増え続けています。これでは実際何のとりくみもなされなかったことと変わりありません。ぼくたち一人一人がもうそろそろ次の段階に移行して、自分たちのライフスタイルを実際に変化させるべき時がきているといえます。和楽で言う暮らしとは何も環境問題のことだけではありませんが、もとから日本人のライフスタイルには、元来エネルギー資源の少ない日本だからこその工夫や知恵が環境問題を解決し、精神的にも豊かに自然のリズムの中で生活するこれからの暮らしのヒントとなり得るのです。それでは我が家で実行している和楽な取り組みについてご紹介していきます。

「自己責任」という世論。 2004/5/17up

イラク人質事件について、ある新聞記事を読んだ。さまざまな論議をよんだ事件ではあったが、ここでいまさら事件に関して言及するつもりではない。記事の中で気になる意見があったからだ。新聞の著者は事件後に起きた「自己責任」という世論が起きた理由をこう分析する。
 〜今回の世論が起きた背景に、この国では「国家に従属する国民」というアイデンティティーと国家を支える礎としての「家族」というアイデンティティーがきわめて重要視されていることがうかがえる。戦後民主主義の結果、個人主義が蔓延し国民意識が薄れ家族が忘れ去られているという考えはまったくの杞憂であり、戦後半世紀以上経っても人々の意識は変わっていない〜という記事だ。

 確かに「他人に迷惑をかけない」「それを教育するのは家族の責任」という考え方は変わっていない。僕自身はこの意見はある程度的を得ていると考える。しかし問題なのは、たとえ国民意識はそうであっても、実際の家庭での暮らしや日本人らしさは忘れ去られたかのように暮らしている、という現実である。忙しさを理由に家事や子育てを放棄した主婦、仕事に明け暮れる夫、子供を叱れない大人、他人任せの自己責任。

  なぜ家族を重視するものが家族を省みないのか?
  なぜ日本人というアイデンティティーに誇りを持った国民が日本を省みないのか?
  なぜこんな言行不一致が当然として起きているのだろうか?

僕は事件についてどうこう言っているのではない。「自己責任」という言葉を発した多くの人達に怒っているのである。それだけの責任感と日本を愛する心を持つあなた、あなたは言行一致ですか?

むーちゃん帰国。 2004/3/6up

むーちゃんが長い旅路から帰ってまいりました。約一年間かけてインドをほぼ一周してきました。バックパックを背負っての女の子の一人旅、それも初一人旅です。これからの人生や今後の生活にとって、とても貴重な充実した経験、出会いのの詰まった旅だったに違いありません。向こうにいる時にメールでやり取りはしていましたから、大体の話は聞いて分かっていますが、ホントのリアルな感覚や感情なんかについては、これから少しずつ垣間見れるに違いありません。これからの暮らしの中で、むーちゃん自身が自分の変化、成長を発現していくことでしょう。それらは期待に満ちた驚きであろうし、今後の生活の楽しみでもあります。とにかく、おつかれさま。おかえり!むーちゃん。

ケンジ来たる! 2004/3/5up

和楽社中の若手ホープ、ケンジ(23)がやってきました。今まで一人暮らしをしていたワンルームマンションを引き払い、雲ヶ畑に移住しました。これからしばらくは一緒の生活が始まります。社中協力で引越しをしたのですが、極力文明財を排除せよとのお達しの中、デリボーイ一台分の荷物(しかもほとんどが和の道具)で済みました。ごみなどの捨てるものもほとんどゼロ。かなり楽な引越しでした。やはり和の暮らしというのは物が少なくて済む、シンプルなものだと改めて実感しました。文明生活にどっぷりつかっているあなたの引越しは、果たして乗用車一台分で済みますか?

今年の味噌作り。 2004/2/20up

味噌作りの材料。大豆、塩、米麹のみです。当然ながら余計な添加物は一切使っていません(笑)残念ながら今年の材料はすべて購入しました。目指せ100%自給!

 昨年より恒例の味噌づくりを今年は和楽のみんなでしました。手作りの味噌の味はそんじょそこらの味噌製品の及ぶとことではありません。自分たちで作ったという愛着や、出来上がりを楽しみに待っている分、おいしさうれしさも違いますが、何より安全で安心、安上がりで本物の味です。そして昔暮らしの気分が味わえます。昔はどこの家庭でも味噌やしょうゆを作っていたということです。

比叡山登山 2004/2/8up

冬の晴れ間の日曜日、比叡山に登ってきました。滋賀県の坂本から京都の一乗寺まで昔の林道を歩いて抜けられます。滋賀県の坂本から京都の一乗寺まで昔の林道を歩いて抜けられます。





謎の写真 2004/1/30up

昔の報道雑誌を見ていて、衝撃の写真を見つけました。時は日露戦争開戦直前の明治36年、主戦論と非戦論が火花を散らす中、「ロシア討つべし」と主戦派活動をした対露硬青年団体という連中の写真です。この姿で「ロシア討つべし」国民をアジってまわった…と書いてあります。ウケ狙いじゃありません。一見して強面のひげ面、編笠にミノ姿。「あんたら、なまはげかいっ!」とツッコミを入れたくなるようないでたちで、まじめに啓蒙してまわったのです。あまりにスゴすぎます。これは、当時の人々の目にどう映ったのでしょうか。いまなら主義主張よりも、その奇抜な格好のほうに気をとられてしまいがちです。ますます謎は深まるばかり…おそるべし明治人!

冬・2度目・の雲ヶ畑 2004/1/30up

きました。冬です。2回目の冬。寒いことは覚悟の上でした。昨年の教訓で、都市向けの暖房器具は一切、歯が立たないことを知り工房用の強力なストーブ一台と囲炉裏、火鉢の直火、加えて綿入り着物にラクダX2を着込んで迎え、寒さには対応できたんですが(及びだんだん慣れてきた)、やはり山の冬は厳しいです。今年から井戸から簡易水道に変わった水道が凍結、管が破裂しました。寒い以上に文明のもろさを感じます。数日、ご近所さんにお水を汲ませてもらい、なんとか仕事と生活をしました。まだまだここの暮らしを完全にものにしていませんね。反省です。偉大なり!自然の力。

2004年奮闘記 主な登場人物

じゃんわたくし。築100ン年、雲ヶ畑亭の主です。

 

たまこウチで飼っている愛犬です。もうすぐ2歳(♀)

         

ムーちゃん頼もしい彼女。無事インドの旅より帰国。今年は進化の年?

 

ケンジ社中若手ホープ。大学も卒業し、今月より雲ヶ畑に移住、仙人修業開始!

あけましておめでとうございます。この雲ヶ畑奮闘記も、早3年目に突入しました。暮らし的にも精神的にも、昔の日本人を目指し、自給自足と日本人のお勉強に精を出してがんばります。本年もどうぞよろしく!


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