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都市の将来。 2003/12/1up
週末、思いがけず和楽のみんなで回転寿司を食べに行く。雨なのでケンジを車で送っていく途中に、何か食べようということになったのだ。市内は月末の雨、通勤時間帯ということもあって車で渋滞していた。国道沿いの寿司店も駐車場待ちの車がならぶ、なかなかの盛況ぶりだ。店内は家族連れなどで賑わっていた。ぼくらは30分ほど待って席に着いた。
カウンターではおびただしい数の食べ物が、長い長いベルトコンベヤーに乗って、ぐるぐると休むことなく回っている。お客はそれを好きなだけとって食べる。どれも一皿100円均一。注文も液晶画面のボタンで注文すれば、数分後にはそれらが流れてくる。この店では食べ終わったお皿も、席についている穴に投入すると自動的にカウントとされ計算される。徹底的な合理化だ。まるで近未来SFにでてくる、ブラックユーモアのような世界がまさに現実のものとなっている。お店の客たちは誰もそんなことは気にしない。ぼくらは満腹と、ブロイラーの気分と、工場で働いたような疲労感を味わい、引き換えに一人900円也をレジで支払った。…これは都市のある究極を示している。
デフレの影響下、外食産業がとても厳しい状況に立っているが、価格やサービスの競争は果たして我々にとって本当に歓迎すべきものなのだろうか?確かに、便利で低価格なものが気軽に買えることは、都市に生きている特権かもしれない。しかしそれらは多くの犠牲と、後戻りの出来ない論理によって成立している。関わりが多かろうと少なかろうと、我々もそのサイクルの中で生活しているのだ。回転寿司がいやなら今後一切行かなければ済むことだが、それでこの流れがなくなるわけではない。否、もはや都市はその論理なしでは存続できない。これは老若男女、貧富の差は関係ない。なぜなら金持ちは金持ちで、もっと稼がなければならない、常に発展していかねばならない宿命を持っている。彼らは破滅や倒産が恐ろしくてやっているのではない。都市の論理が休むことを許さないのだ。
近年、都会の生活に疲れた人々の農村地域へのUターンが増えてきているが、当然のように感じる。もはや都市は人間的な生活を営むには不便すぎる。高すぎる生活コストのわりに低いエンゲル係数、過剰な労働時間、狭すぎる環境と多すぎるモノ。これらを引き換えに、便利すぎる生活を求め続けなければならない宿命…あまりにも割に合わない。
では田舎は楽園なのだろうか?けっしてそうではない。田舎の生活も都市化してきている。ある田舎に住む人が「東京の人は足が丈夫だ」と感心している。田舎では通常、移動に車を使うが、都市では公共の交通機関を利用する為、歩く機会が多いからだ。また、田舎ほど都会志向が強い。地方ほど、収入や便利さの面で、都市に追いつこうと躍起になっている。
つまり現在問題なのは、都会か田舎かではなく、自分自身が今置かれた状況下で何を求め、何を選択していくか、どう暮らすかが問題であって、結局は自分自身で気づいてできることからはじめていくしかないのである。…しかし、うっかりしていると都会のほうが今回のような目に会いやすい。そういう意味では田舎のほうが快適に暮らせるとは思う。
大岩。 2003/11/6up
先日、雲ヶ畑へ至る道路の拡幅工事で、通称「大岩」の撤去作業にともない、地鎮祭がありました。宮司さんが大岩に祈祷と捧げ、工事にあたる作業者もこれに参列し、祈祷と捧げました。
ぼくは偶然通りかかったのですが、参列に混ぜてもらいました。改めて見てみると、大岩は堂々とした存在感があり、この周辺の主のようにさえ感じられます。これがなくなってしまうと思うと、なんだか取り壊すのはもったいないというより、何とか迂回して祠でも建てたいくらいに感じます。人間の都合からいえば曲がった道をつけるより、飛び出してる大岩を取ればいいじゃん、って事でしょうか。工事が終われば元の風景の記憶は消えてなくなってしまいます。さびしい限りです。ここに京都バスの大岩停留所がありますが、文字通りその名残になるのでしょう。
聞くところによるとこの大岩は、火打石(石英岩)らしく、できれば工事で出るかけらを頂戴したいと狙っています。
行政が考える防災。 2003/10/13up
消防団に入団しました。あさっての入団式を前に、先日箱いっぱいもらった消防団員の備品を確認した。内容は帽子が3つにヘルメットが一つ、ブーツや長靴、夏服冬服のシャツやズボン各一組、ベルトに合羽、ジャケット、背広、ネクタイ、てぶくろ、腕章、団員手帳…
消防服こそありませんが、なんだか装備はプロ並みです。一気にものが増えて混乱しそうです。あまりにも多いので気が引けて、元団員の方にお古を借りようとしたところ、主だったものは返却するとのことで現在は持っておられませんでした。しかし消耗品が多いのでリユーズできそうなのは背広くらいのもの。明細には「貸与」とありますが、ほとんど返却不能なのではないでしょうか?ちいさいことですが、自腹で払えばイタイ出費になります。もちろん、これらはすべて税金です。今度の入団式でこれら疑問をぶつけてみようとおもっています。いい格好をする訳ではありませんが、日本人の「始末」の思想に反します。それにしても西洋式の道具はものがたくさんいるもんです。やはり現在の日本は消費の国ですね。こういうところでも、買えばいいじゃんという発想がうかがえます。非常に貧しい…
こころのF1化(一代化)。 2003/10/6up
ネットを検索していたら、素敵な人を発見しました。綾部に住む、塩見直紀さんと言う方で自給自足をベースに天の才(やりがい、使命)を追求する「半農半X」というライフスタイルを実践、提案している人です。
感動して、早速メールをだしてみました。
彼は、おばあさんから託されたゴマをきっかけに、在来種の種を後世に受け継いでいく(たねっと)という活動をしていてそのホームページの中で、’人間は種をF1化(一代化)してしまい、そして、自らの心もF1化してしまったのではないでしょうか。というようなこといっておられます。
戦後復興の名の下に、効率化、高速化、合理化を追求した結果、「すべてがとても便利にになる(生命までも)」社会になり、またそれを不思議とも思わなくなってしまった。なんだか絶望的な話です。しかし、F1種も本来の性質をすべて失っているわけではありません。その中でも事実、一部の種はちゃんと芽を出し、花を咲かせ実を結ぶのです。実際、種にもいろんな人がいて、様々な性質を持って暮らしてる。それが世の中なんですね。僕は結構、悲観的にものを見ていた気がします。日本の言葉「やまと言葉」で、「た」は「高く顕われ(伸び)、多く(たくさん)広がりゆく」、「ね」は「根源(にかえる)、(いのちの)根っこ」という意味だそうです。今日、散歩の途中に近所の方からイチジクを三個もらいました。やっぱり、まだまだ日本も素敵です。
糸紡ぎ体験行ってきました。 2003/9/18up
9月14日、丹波の丹波布伝承館に行ってきました。以前オークションで古い糸車を入手し、なんとか直して使いたいと思っていたところ、こちらのほうで体験できるというので糸車持参でお邪魔しました。
ここにはおびただしい数の織機と糸車があり、年一度長期の本格的な講習もされています。今回は糸紡ぎ体験と糸車の修理の方法をしっかり伝授してもらいました。
複雑な技術は不要ですが、ちょっとしたコツと膨大な手間が必要な作業です。綿花が見る見る糸に変わるさまはとてもおもしろいです。気分はインド独立運動の指導者ガンジーです。インドの旗の真ん中にはこの糸車があります。そういえばガンジーは携帯用の糸車を持っていて、常にどこででも糸を紡いでいました。昔の日本人も暇さえあれば何かを作っています。自分もそれに習って常に何か作業をしていたいですね。手仕事とはそういうものかもしれません。
薪割りをする。 2003/9/18up
暑い最中、薪割をする。お隣のおじさんに作業場で出る端材を頂いて薪にしました。軽トラに平たく一杯位の薪を作りましたが、普段運動不足なので結構きます。冬までにこの薪を炭に焼きたいと思います。
松上げ今年も参加。 2003/9/18up
8月21日、今年も雲ヶ畑の松上げに参加しました。愛宕明神に火災予防と五穀豊穣を祈願する行事で、山の上に櫓に組んだ松明で文字を立てます。その後松明を持った若中が向かいの山の寺まで駆けます。行事や準備の一切は村の若中が執り行います。社中からは僕とケンジが参加、当然準備から参加しました。(祭りの詳細は過去の記事参照)松上げはすべて地元にあるもので準備をします。ほとんど手作業、山に薪を上げるのも徒歩で担ぎます。なかなか大変に思いますが火が上がった時は皆でやった達成感があり、この中でみんな大人になっていきます。今年はテレビの取材が来て、松上げの様子を撮影しました。うちの家も登場しています。
おかえりむーちゃん。 2003/9/18up
8月10日、陶器市最終日。台風の影響で2日目午後から店じまいしましたが、残りの日はお客さんは結構多く、売れ行きも好調。ケンジは見事完売を達成しました。この日、バリからむーちゃんが帰って来ました。一年位各地を放浪の予定でしたが、日本で用事ができた為の一時帰国。まだ1ヶ月くらいは雲ヶ畑にいられるので、また2人の生活が始まります。
五条陶器市。 2003/9/18up
8月6日、五条の陶器市に出店するため準備に行きます。今年もテントを手作りしました。材料は近くの竹、ビニールシート、麻紐です。準備の日は良く晴れました。今回は新たに社中に加わった和楽人ケンジも自分の作品を並べました。
準備は程なく出来上がり、友人からのたまこ目撃情報をもとにまた捜索に行きました。妹と父親も駆けつけてくれ、無事たまこを発見!いなくなった周辺に隠れていました。夜になって出てきたのでしょう。犬はこういう時すぐには移動しないんですね。そう遠くない周辺をくまなく探すのがいいと思いました。とにかくよかった、よかった!
たまこ、いなくなる。 2003/9/18up
8月5日、愛犬たまこが行方不明になりました。友人宅に連れて行って表につないでおいた数時間の出来事でした。付近を捜索しましたがその日は見つからず、陶器市の準備もあり自宅に戻りました。もしかすると自力で帰ってくるかもしれないと思いましたが、いなくなった地域から自宅は、市内の南端と北端ほどの距離があります。一応警察と保健所に連絡して情報を待ちました。犬は夜移動するとも聞きました。こういう時、犬はいったいどういう行動をするのでしょうか。的が絞れれば探しやすいのですが…とにかく友人や付近の情報を待ちました。
愛宕山の千日詣 2003/7/31up
7月31日、愛宕山の千日詣に行ってきました。歌のように月参りとは行きませんが、毎年の恒例になってきました。小振りながら急な山なので、登るのも一苦労。夏本番の風物詩であるとともに、日頃の体力を測るバロメーターにもなります。この日は子供連れから年配者まで、たくさんの参拝者でにぎわいます。中には今年96歳の方も登っておられたそうです。愛宕登山の様子はこちら
夜の散歩道。 2003/7/18up
たまこを連れて夜の散歩に出かける。
いつものお決まりは、停留所の小道をぬけて川沿いの田んぼを見ながらお宮まで行くコースだ。この界隈は街灯もあまりまばらで、ほの青い薄暗がりの中の散歩はとてもたのしい。
今日のような曇りの日には視界も非常に悪く、ときおり木や草の影が目の前に現れては驚く。…雲が一番明るいのだ。こういう時は五感が働く。ずっと川の音はもう意識からない。虫や蛙の鳴く声、鳴り響く静寂。この感じは太古の日本人も歩いた夜だ。過去と現世がつながる。変わる空気を度毎に吸い込む。突然の来客にお宮のキジを起こしてしまった。帰りにふと思いつく。今日は気分を変えて裏庭の門からウチに入ろう。そっと門を開けるとそこには誰も住んでいない廃墟があった。いそいそと横庭を抜けると小さな畑のある庭に出た。ハァーついてよかった。たまこに水をやって、やれやれどっこいしょ。
暗闇の散歩はとてもたのしい。
村井弦斎の「台所重宝記」を読む。 2003/7/16up
明治期の文化人、村井弦斎の「台所重宝記」を読む。
この本は、とある上流階級の「妻君」とお手伝い「ミツ」の台所での会話を、問答形式で書き綴った当時のベストセラー本である。
その台詞のような語り口も魅力的だが、食材の見分け方、料理法、保存法、リサイクル、果ては道具の善し悪しまで言及した超実用本なのである。また当時の暮らしや流通などの様子も生々しく描かれ、当時の風俗を知るうえでも貴重な文献で、たいへんにおもしろい。今にも実生活の中ですぐさま活用できるような知恵がてんこ盛りなのである。
まったく、昔の日本人には頭が下がる。知識以上に「どんなものでも無駄にしない」根性というか「利用しつくす」精神に感服です。全くすごい。早速明日から実践だ!
2003年奮闘記 主な登場人物
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じゃん…わたくし。築100ン年、雲ヶ畑亭の主です。 |
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たまこ…ウチで飼っている愛犬です。もうすぐ2歳(♀) |
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ムーちゃん…頼もしい彼女。無事インドの旅より帰国。今年は進化の年? |
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雲ヶ畑に来て早1年。だいぶん暮らしにも慣れてきました。社中のホームページもリニューアルして新規一転。長らく休んでいた奮闘記のページを今日から復活し、ぼちぼち書いていきますのでどうぞよろしく!
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