和楽社中では『おじいちゃん、おばあちゃんと語ろう運動』を展開しています。
おじいちゃん、おばあちゃんは一番身近な歴史であり、生き証人です。
おじいちゃんの少年時代、おばあちゃんの恋愛体験。どれも和楽な暮らしには必要な経験であり、知恵です。
みんなもおじいちゃん、おばあちゃんとお話ししましょう。題して『語ろう運動』です。


■戦前と戦時中、戦前と戦後■

和楽四大運動の一つ『おじいちゃん、おばあちゃんと語ろう運動』の実践として僕は祖父の取材をしました。この『おじいちゃん、おばあちゃんと語ろう運動』では是非とも知ってほしい大きな主題があります。それは「戦争以外の戦前」知ることです。僕は昭和47年生まれでもちろん「戦後」生まれである。「戦前」と聞くと、防空壕、もんぺ、配給、赤紙、英語の使えない野球、そして軍国主義…。ずーっと戦争をしているという思っていた。
 祖父の取材を通して、重大な事実を発見することになりました。「戦前と戦時中とは違う」という事実です。そしてそれまで描いていた戦前のイメージは「戦時中」のことだったのです。

 戦前の暮らしの中には、少年時代はガキ大将がいて宿題もあれば、学芸会もある。学生時代は期末試験もあるし、カンニングをしたりする、電車通学もあるし、恋愛映画を見に行ったりもする。受験勉強、就職難という言葉すらある。少なくとも僕は周りの(戦後の民主主義で育った)大人たちには「この事実」を教えてもらえませんでした。

 では「戦争以外の戦前」を知った上で、戦前と戦後の暮らしは何が違うのか。それをひもとき、そして見直せるものはもう一度取り戻したい。七和三洋のバランス(70%の文化的な暮らしと30%文明的な暮らし)の追求への思いがますます強くなってきました。そしてその追求と実践が和楽の目的なんだとあらためて気づかされんです。



■戦前を大正〜昭和初期と設定■

和楽を進めるにおいても、その戦前の時代設定したい。僕は取材や勉強を通して戦前を大正時代から昭和15年前後までとしました。日露戦争後、平和な時代に入ったと同時に、和魂洋才や富国強兵が中央(公・おおやけ)から庶民(私・わたくし)の暮らしレベルになってきたことがその理由です。たとえば大正時代には照明やラジオなどの西洋文明が庶民の暮らしにも徐々に入ってきます。しかし明治時代は東京や大都会などの一部でしか、西洋文明にお目通りできない。
 戦時中を昭和15年から終結の昭和20年ごろとした。一般の日本人がいわゆる戦時中の暮らしに入るのは大東亜戦争後というのが分かったからです。おじいちゃんに満州事変や支邦事変のことを聞けば、「陸軍が中国戦争を始めたらしい。早く終わればいいが」と自分の暮らしと戦争が必ずしも関係が深くない。
 いずれにしてもこの取材や勉強を通して、僕は<戦前を大正時代〜昭和15年前後>とし、<戦時中を昭和15年前後〜昭和20年まで>と考えることにした。さらに<昭和初期を昭和元年〜昭和15年前後>とし設定することにしました。



■戦前を知っている人はすでに90歳以上■

少し算数の時間に入ります。僕の祖父は明治42年2月1日に生まれ、平成17年現在96歳。明治末期の生まれということは厳密には明治時代は知らない。物心のつく大正時代からその記憶をたどることができるわけです。大正デモクラシー(大正後期)が10代後半にあたり、昭和モダニズム(昭和初期)が20代前半の学生時代にあたります。幸運にも学生時代を東京で過ごし、昭和モダニズムを肌で体験しています。まさにモボ・モガの世代です。ちなみに226事件の中心となった青年将校はちょうど僕の祖父と同じ世代にあたります。そして戦時中は30代にあたり、終戦の昭和20年は36歳となります。つまり戦前(昭和15年前後まで)を自らの記憶とともに知っているということです。違う言い方をすれば現在生きている人で、戦前(大正から昭和前期)を知っている人はすべて90歳以上ということになります。
 昭和20年に終戦を迎えると言うことは大正末期から昭和初期に生まれた人は終戦の年に20代前半と言うことで、いわゆる戦時中の思想教育を受けている世代になる。彼らが現在、80歳前後になります。
 この取材を通してこれは緊急に『おじいちゃん、おばあちゃんと語ろう運動』をはじめなければならないと思ったのはこの点である。戦前を知っている人はすでに90歳以上であるという現実だ。まわりに90歳以上のおじいちゃん、おばあちゃんがいたら、すぐにでもお話を聞いて、自分の知にしていってほしい。



■七和三洋の時代=戦前■

『おじいちゃん、おばあちゃんと語ろう運動』を進めていくうちに、戦前に七和三洋の時代を感じ、現代にも十分通用すると確信しました。少しふれましたが、戦前に入り、西洋文明が中央(公・おおやけ)から庶民(私・わたくし)の暮らしレベルに入ってきた。それはゆっくりで緩やかに。衣でいえば男性の間で帽子や眼鏡、トンビコートが、女性の間でショールや洋風の柄をモチーフにした着物も増えていく。食でいえばカレーライスやハンバーグなどの洋食屋さんやカフェやビアガーデンが街に現れ始める。住でいえば裸電球、ラジオなどの家電製品が一般家庭にも普及し始める。
 注目すべき点は暮らしにおける西洋文明の割合である。簡単に言うと会社や仕事場などの公では西洋文明の率が高く、暮らしの私では日本文化の率が非常に高い。会社では洋服を着るが家では着物。万年筆は使うが縦書きで書く。日本家屋の中に洋間があり靴は脱ぐ。暦は西洋歴だが身長体重は尺貫法。西洋楽器だがリズムは音頭…。西洋文明を受け入れつつも、暮らしやものの考え方、好み、心地よさ、思想の基礎が『日本的なるもの』なのです。しかもその基礎がとても深い。現代の西洋文明を基礎にとらえた『和風』とは全く違うものが流れている。言い過ぎかもしれないが、この時代、『日本的なるもの』が基礎なので『洋風』はあり得ても、『和風』はありえない。
 
 現代を生きる僕たちにとって、総論では今の西洋文明の限界を感じつつも、各論ではその西洋文明の便利な暮らしをどうしても捨てられないのが本音だろう。僕もすべてを捨てられない。でも30%程度西洋文明の便利さを享受させてもらう七和三洋のとらえ方、また図らずもそれを実践していた戦前の暮らし方には幾分かの可能性を感じる。もちろんその可能性は和楽の可能性であり、『日本的なるもの』の深い暮らしと社会を取り戻すことの可能性なんです。

 最後におじいちゃんありがとう。もっと、もっと長生きしてください。(ゆう)


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