1973 年広島市に生まれる。大学を卒業後、他の大多数と同じように進学、就職という流れの中で生き、塾業界で5年ほど教壇に立つ。しかしその岐路、岐路で心からこの道に進みたいと思って自分の行く先を決めて来たかというとそうでもなく、どこかで自分に嘘をつきながら、無難な道を歩んできた気を持ち続ける。その微妙なひずみは社会に出て働き出してからは、次第に大きなゆがみとなり、そこで初めて自分の本心と向き合う。そこで2001年会社を辞め、広島県神石郡神石町の有機農家で農業研修生活を住み込みではじめる。2003年より独立し広島県山県郡大朝町で本格的な百姓生活を始める。現在空き寺に住まい。借地での田畑耕作に励む。毎日とても気持ちいい。
帰省したきっかけを教えて下さい…おごりを捨てて謙虚に生きたい
すこし大きな話になってしまうのですが…、私も他の多くの若者のように大学を卒業し、就職します。そして一人の大人として現代の日本社会を見渡す立場になった時に、あらためて自分の思いととてつもない違和感を感じました。私は人間も一動物でしかないと思っています。あくまでも「自然界」の一部としてその摂理の中で生かされているに過ぎない。
にもかかわらず、今の人間の奢(おご)りようはなんなのだ。現在起こっている様様な社会問題や環境問題、そして健康問題などあらゆることがこの「奢り」に起因していると感じました。人間も自然界の一部として、他の動植物と同じようにその摂理の中で生き、そしてまた土に帰って行く。自然に存在するあらゆるものに対して畏敬の念を抱き、謙虚に生きる。そんな生き方を模索すると「百姓」に辿り着きました。
つい50年前のこと。俺にもできるはず
他にもいろんな生き方があるのでしょうが、私の場合祖父が百姓をしていることもあり、身近だったせいか、はたまた百姓の血を受けついていたからなのか、これ以外の選択肢は見当たりませんでした。
高度経済成長期以来「金、金、金」の拝金主義が蔓延してはいるものの、つい50年前までは日本人は土に根付いた生活を送っていたのではないか。いや、私たちの幼少期にもまだその面影はかすかに残っていたはず。だから私がそういう生活に共鳴できるのだと思うんです
心おきなく死んでいける生き方
もう一点は私が極度なまでの我儘だったということでしょう。会社組織の中で仕事をしていて常に付きまとっていたのは、頭の悪い経営者や管理職に振り回されている自分との葛藤でした。それでも給料をもらって自分の生活を続けていくためには嫌なことでも言う事を聞いて自分の正義感に反することでも遂行しつづけなくてはならない。そんな自分に対する堪忍袋の緒が切れたわけです。
当時私がよく感じ、また口にしていた言葉に「天災は我慢できるが、人災は我慢できない」ということでした。自分の満足する仕事をしたいのであれば、自分で会社を興すしかない。そのとき自分が心から一生を捧げたい仕事は何かと考えると「百姓」に行き着いたということです。
いろいろと話が膨らみましたが、一言でまとめると、きっかけは「現代社会のありように対する反骨」と「自分の思ったとおりに生を全うしたい」という2点だと思います。そしてこの2点の根底にあるのは「心置きなく死んでいくための生き方」だと思います。
百姓になるには何からはじめれば?…どういう農業をしたいか明確に決める
まずは自分がどういう百姓をしたいのか、ということを明確にすることです。一口に「百姓」とか「農業」といってもその在り方は十人十色です。私の場合はアニミズム的な思想が根底にあるが故に当然「自然農」「有機農業」といった方向へ足が向くわけですが、その「有機農業」にも人によってやり方は様様なわけです。
それがある程度まとまれば、どういう勉強をすればよいか、またどんな農家を頼って教えを乞うかが決まってくると思います。
まずは何事も勉強から。そして土地探しへ
まずは自分の目指すところに近い農業をしている人のところでしばらく勉強させてもらうというのはお薦めです。利点としては、短期間で技術的なことを習得できる。現地で生活することにより地域の人とも親密になれる。研修期間中に自分の進むべき方向性をより明確に出来る。といったことが挙げられます。
次は土地探しになると思います。と言っても町村役場を尋ねてもまずまともに取り合ってくれるところはないと思っておいたほうが良いです。全国的に見るとごくわずかに行政が組織的に受け入れてくれるところもあるようですが、これは期待しないほうが賢明ですね。
お金のある人はいきなり土地と家を購入してスタートということも出来ますが、地域に受け入れてもらえない限りはなかなか周囲からの手助けはありません。自分ひとりで試行錯誤するのも一つですが、こうなると軌道に乗るまでの運転資金がかなり必要になります。購入であろうと借家・借地であろうとまずは地域に溶け込むことが肝要です。
自分のスタイルを持つこと。その土地にとけ込むこと
突然街からやってきて「農業をしたい」といっても田舎の人はまず相手にしてくれません。結局なんだかの形で自分が頑張ってやっているという姿を見て初めて認めてくれます。それもかなり少しずつ。逆に言うと「こいつは本気だな」と思われると「田んぼをやってくれ」という申し出がいくらでも来ます。農村では作り手不足なわけだから。
さて、まとめとして、「これからはじめなさい」という決まった方法はありませんが、どんな方法を取るにしても避けて通っては成功できないと思えることは(1)自分なりのスタイルを確立すること。(2)地域に入っていくこと。この2点だと思います。
後は自分の目指す道に対してゆるぎない信念を持って貫くということです。田舎では障害はいくらでもあります。それに負けないでください。
いくらお金を用意すればいいのですか?…お金をかけねば手間はかかる。またその逆も然り
農協や役場の指導通りにやっているといくらでもかかります。そういった慣行農法を考えている人は最低でも1000万円は用意してくださいね。私は工夫次第でお金はかからないと思っていますし、またそれを実践しているつもりです。機械や道具は地元の人と仲良くなればいくらでも貸してくれます。借家も探せばタダ同然のところもあります。田んぼも交渉次第ではタダで貸してくれるところもあります。
ただし、心しておかなければならないのは「お金をかけないようにすれば、とてつもなく手間がかかる」ということです。これに耐えられず少しでも楽をしたい人はお金をたくさん使ってください。
私はお金をかけずに楽できる方法もあると思っています。これは頭の使いよう。そして肝心なのはいくら「お金をかけない」といっても生活をしているだけで最低限のお金が必要になってくるのが現代社会であるということです。光熱費や電話などの通信費、税金もあれば、年金もある。自分で食べ物を作るといっても作れないものは買うしかない。軽トラやトラクターなど農機具の燃料もいるし、百姓をするには道具もいる。この道具が結構バカにならない。種もタダでは落ちていません。
これは私の場合ですが、参考までに。今年独立して1年間生活をしながら百姓をするのにざっと見積もって150万円はかかっていると思います。これも人によって多い少ないがあると思うので自分で見積もってみてください。ただし忠告しておきますと、自分が見積もったものより実際は1.5倍(最低でも)はかかると思っておいてください。
必要な技術、心がけは?…郷には入ったら郷に従え
技術的なことは初めから用意できていなくても当たり前だと思います。むしろ心がけだけでいいのではないかと思います。「郷に入っては郷に従え」この謙虚さを忘れず、尚且つ自分の信念を貫く。一見矛盾しているように見えますが、このバランスを忘れないことが大切なのだと思います。どちらか一方に偏ってしまうと田舎では苦労すると思います。特に我々は「余所者」だから。







