■1972年京都の平凡なサラリーマン家庭に生まれる。幼い頃からものを創るのが好きだった為、高校進学が当たり前の時代、中学校を卒業後、職人になるため陶工専門校に進学、絵師の道に進む。以後、数年の下積み時代を経て、独立。1999年、京都ものづくり塾で伝統工芸品関連のボランティアに参加。産業主導に限界を感じ、暮らしをもっと見直そうと2000年、同志ともに和楽社中を立ち上げる。その後、援農などを通じて農業にも興味を持ち始め、現在は京都北部の雲ヶ畑の築百数十年の民家を借りて、半農半陶の暮らし実現に向けて奮闘中である。現・和楽社中代表。
きっかけ…ちゃんと日本人になりたかった!!
和楽な暮らしをはじめるきっかけは、日本を知りたくなったってことです。僕は京都に生まれて育って、人から京都は伝統があっていいですねって言われたび自分にはそんなのないよなーと思っていたんです。だからやはりちゃんと日本人になりたかった、ちゃんと日本を知りたくなったんです。仕事は焼物の絵付師をやっていますが、職業的に知っていることしかなかった。文化や歴史についても何か遠い話のようでもっと身近に感じてみたかった。もっと身近な生活の…昔の知恵について学んでみたくなったんです。
将来の夢…我が家を小さな工場にしたい
日本の職業、とりわけ家業といわれる職種の家屋は職住一体なんです。仕事場であり住居である。自分で独立したこともあり、まず住居探しから始まりました。以前から自給自足のライフスタイルに憧れていたので、半農半陶を目指しています。窯業は昔から兼業が多かったといいます。農閑期の副業を持っていたと。兼業にすれば売行きの不調期にほかのことがやれる、という柔軟性があります。必要以上に利益を追求する必要性も弱まります。手仕事は利益を追求すると出来が悪くなるものですから、非常に合理的なよい方法だと思っています。
将来は小規模な農場をやりたいと思っています。そこで得られるいろいろなものを利用して、我が家は小さな工場になります。みな暮らし向きのために作られるものです。経済の為ではありません。純粋な生産の場、それが理想です。
和楽ノススメ…昔の日本にはお手本がいっぱい
昔の暮らしぶりや日本人の性格についてみているだけでも面白い。昔の日本人にはお手本がいっぱいです。それらの本を読むだけでも勉強になりますよ。りっぱです。憧れますよ、日本人に。
ライフスタイルについては、独立して時間を自由に管理できるようになったことが大きいです。自宅で何かチャレンジできますから。何かを始めるには時間が必要です。その分経済は犠牲にしています。(笑)得られるものは大きいですよ。大事なものを両手でがっしり掴んでいては新たなものは得られません。当面の食料より種を掴むんです。大いなる可能性という種です。和楽にはそれがあります。
和楽が向かう先は…地縁→血縁→職縁→趣縁
立ちションするおっさん、タバコの投げ捨て、ゴミの山。日本は元来、モラル(道徳心というより自尊心)によって治安や社会関係を維持させてきたと思います。いわゆる、恥の文化です。特定の宗教のない国にとって奇跡的ともいえる精神文化です。
それを支えてきたのは人の目、緊密なコミュニティーでしょう。だけどそれらはグローバル化の名の下に多様化した暮らしと都市化によって、よそよそしい関係、見てみぬフリが習慣、恒常化してきました。とはいえ、都市のすべての人と緊密にするのは不可能ですし、価値観も多様です。じゃ、どーすりゃいいんじい。…そこで和楽なんです。
和楽でよく話す縁、地縁→血縁→職縁と来て、次は「趣縁」の時代じゃないかと。趣向を同じくする仲間でコミュニティーをつくり、価値を共有することで緊密な社会構造をもう一度作れると。
暮らしがキーワード。みんな同じ立場で行こう
また和楽は「暮らし」をキーワードにしています。単なる和のサークルやマニアの集会ではなく、地域、親類、産業界とそれぞれ違う立場の人たちと、和の暮らしを通じて、もう一度生活者としていっしょの立場を可能にしたい。なんだ消費者である前に生活者だったんだと。
大事なことは、「社会の矛盾やおかしな慣習に流されず、思うことは正直に、あたりまえに実行する」ということ。結構勇気が要りますが、自尊心を損なうよりはましです。そしてそれは、かなりの人に理解してもらえます。
これからももっともっと新しい仲間、よい出会いを通じて「あたりまえの事があたりまえになる」社会を実現できるようがんばって(楽しんで)行きたいです!







